カラーをしてないお客様の、白髪をたまに抜いてあげたりする。
ワゴンには常にピンセットが入っています。
僕は、この作業が地味に好きです。
白髪を抜いて、渡した瞬間、恥ずかしそうにしながら、感謝される。
思い出すんですよね、初めてのバイトを。
母の白髪を、10本50円で抜いてたあの頃を。
必死に、抜こうとして抜けなかったりして、
痛がってるオカンが面白かったりして。
そういう想い出は、やはりいつの時にも影響をもたらすものである。
あるお客様が、スタバによく寄るとお話ししてくれたので、味が好きなんですか?とたずねてみた。
すると、実は味はよくわからないと。
初めて行ってた頃に、頼むの難しくて困ったり、間違えたり、そのあたりも含めたいい想い出が、あそこにはあるからだとお話ししてくれた。
それはタリーズにもドトールにもない想い出なんだと。
それなんだよな。
僕もスタバでは同じような体験をしていた。
プレゼントで、スタバチケットを頂いた僕は、せっかくなので1番高いやつにしてみようと張り切った。
メニューを見ると、○○フラペチーノのサイズはventiが1番値が張るようだ。
「○○フラペチーノのベンチください」
「○○フラペチーノのベンティですね」
そして、悲劇はそれだけでは終わらず、
提供されたのは
真冬なのにとても冷たいモノだった。
フラペチーノを理解していなかった事を知られたくない僕は、
必要以上に堂々とそれを持ち去り、凍えながらすすった、、、。
これも今ではいい想い出である。
(それ以来絶対に、ラテのトールしか頼まない)
だから僕もスタバは特別。
こんなことは、割とみんなあるのではないでしょうか?
もう一つ特別な所がある。
小学校の時に、親父に吉野家にたまに連れてってもらっていた。
当時僕の住んでた地域には、近くには吉野家しかなかった。
僕は大盛と卵。親父は特盛と卵。
しかし何度目からかは僕も特盛を頼んでいた。
大人ぶって特盛を頼んで頑張って食べてた事。
子供の僕には底の方のご飯がめちゃくちゃ熱かった事。
親父と2人で行き、男だけの楽しみ的な感じ。
全てを含めて大好きだった。
だから今でも牛丼食べたくなったら吉野家に行く。
これは、すき家にも松屋にも出せない付加価値なんだ。
深いなぁ。
”価値”というのは、どうやって付くのかは様々である。
僕の仕事でいえばお客様が、
その時の癒し、楽しさ、変化など、現在で感じるもの。
持ちの良さ、スタイリングの再現性など未来で気づくもの。
”変わらないサービスや空間”によって、過去の記憶がよみがえるもの、、。
想い出が、味に乗る。
こんな物語でCMを作ってみてはどうでしょう?吉牛さん。
僕出してください。
ちなみに、当時オカンも吉野家に誘っていたが、
「あんなん、旨くないわ。」
といって拒否された。
吉野家の付加価値もオカンには、過去現在未来において無用なようだ。