父が言った。
「この前ちょっと臨時収入があったからお母さんとな、寿司食べに行ってきたんや」
子供が2人とも家を出た事で、余計に外食しなくなった両親が、たまたま寿司を食べに行ったというのだ。
「どこに行ったの?」
「スシロー」
高いお寿司でも食べに行ったのかと思えば、
あまりにも有名な回るところだった。
うちの親は昔から、贅沢をしないし、させない。
今思うと多分そこそこ普通の家庭なんだけど、子供の頃、うちは貧乏だと思っていた。
ゲームボーイやハイパーヨーヨー、たまごっちやバトル鉛筆も僕は買ってもらえなかったし、
友達がプーマのジャージを着ていた横で、僕はチーターという偽物のジャージを着せられていた。
僕はチーターというブランドがあると思っていた。
外食もあまりしなかった。
外で焼肉を食べる事もかなり少なく、家でホットプレートで焼く事が多かった。
父には「この街にはウチの肉以上の肉はない」と言って育てられた。
もちろん、家族で寿司を食べるなら回転寿司だ。十分美味しかったのだが。
もちろん僕はある程度の年齢になるまで、僕の地元の街には高い寿司屋はないと思っていた。
そんな僕も社会に出て、地元で美容師のアシスタントを始めた。
そして当時の店長のお客様で、何の仕事かはよくわからないが、確実に裕福な事は確かなKさんに気に入っていただけて、カウンターの寿司屋に連れてっていただいた。
緊張感を取るためになのか、まず2杯くらいビールを僕にご馳走してくれた。しかしそこからはアルコールを控えるように言われた。
Kさんは、「酒飲みすぎて後で味を覚えてなかったら損やからな」と言って、そこからはひたすら色んな寿司を僕にふるまってくれた。
もちろんそれは回る寿司とは全く別の食べ物である。
「これが本当の寿司だったのか、、!」
今まで僕の舌が感じたことのない旨味により、僕の脳内は快楽物質を分泌し続けていたのだろう。
僕は終始、笑顔で寿司を食べ続けていた。
あの感謝と感動は今でも忘れない。
あのお客様の好意は、自分が頑張って仕事をした証だったからだ。
当然ながらうちの親には、わが子が大人になってから仕事をがんばり、先輩や取引先のかたに”いいもの”を食べさせてもらう喜びをとっておいてあげるような、そんな想いがあったわけではない。
ただ僕はたまたまこれにより、仕事で得られる喜びや感謝、人生の奥深さを知った。
倹約家な親とスシローが、それを教えてくれた。