長文注意なプロフィール

岡島正樹

*長文注意です。

生誕〜ゲーマー小学生

1985年7月24日、岡島家に姉1人の長男として産まれる。

小さい頃は引っ込み思案な性格で、確実に社交的とは言えず、外で遊ぶより家でゲームばかりしている少年として育ちました。

小学校4年生の時、転校を経験し、今まで当たり前にいた”友達”というものを1から構築しなければならない環境に放り込まれました。その方法が全く分からずはじめはいつも1人でいました。家に帰っても、ラジオから流れるシャ乱Qの”空を見なよ”を聞いて。

ある日体育の授業の日、運動神経の良くない僕は短距離走の時、
腕を曲げずに全力で走る姿(マリオのダッシュと酷似)に皆が爆笑したことにより、いきなり自分が受け入れられた時は本当にラッキーでした。

この出来事により笑いを取ることが人間関係を築くコツであることを肌で感じました。

色気付いた中高生

明らかにオタク気味だった僕も異性を意識し始めて、眉毛を整える事からはじめ、夏休みには髪を染めてみたり。お風呂場で市販のストレートパーマをやってみたり(当時は直毛がブームだった)、ラルクの歌を練習したり。
どうすれば女子にモテるのか、それだけを考え抜いた10代中盤でした。

野球部でしたが補欠。
中学3年間でコーチに褒められたのは、
岡島は声が出てる。
以上です。

勉強は得意でしたが、意義は見出せなかった。
図工や技術など、物を作るのは人より得意で、好きでした。

そんな中、17歳。

将来の仕事を色々考えてきましたが、近所のオシャレな美容師さんに憧れ、しかも自分のお店を持てる仕事という事で美容師を志します。
(ちなみにその美容師さんは2回目行ったときにパーマを激しくかけすぎてしまい、僕を失客してしまいます笑)

髪に激しいこだわりがあった僕は、どこに行っても満足する事がなく、自分がやったほうが絶対上手くやれるという、根拠のない自信を持っていました。

18歳。人に頼る事が苦手だったあの頃の自分は、親にさえも甘えたくなく、学費の安い通信制の美容専門学校に入る事にします。
同時に地元のサロンfaithに就職します。
ただの田舎の若造だった僕を、暖かく育てていただいた先輩方の元で働けたことが本当に自分の財産になっています。

売上が充分あるのに練習を怠らないストイックな先輩。嘘を一切つかない先輩。
新人など一人になっている後輩がいたら、絶対に孤独にならないように仲間にいれようとする先輩。
本当にスタッフを家族のように想う先輩。

ここでの出会いは僕の人生で一番運が良かったことでした。ここでは22歳までいることになります。

外見コンプレックスから商売に大事な事を学ぶ。

元々繊細な性格の僕は、外見に対してのコンプレックスも強かったです。
10代の頃は、とにかくくせ毛(大人になるとなくなりました)と、歯並び。
しかし矯正には抵抗がありました(今なら矯正しろとあの頃の自分に言いたい)。
そんな悩みを抱えている時に、ある歯医者で相談したら、削って被せ物をすればキレイになるよと言われました。
芸能人もやっている事を、保険のきく範囲で出来るよ、と。
そして前歯の歯並びが気になっていた僕は、この先の説明もなく、神経を抜き差し歯をつけることに。
神経を抜く事が歯の寿命を縮める事も知らず。

医者の説明不足で全くその施術の意味合いや、結果は変わります。こういう利益最優先の商売のやり方はしない。本当に相手のためになる事をしよう、と心に決めた10代のワンシーンでした。

22歳。免許取得。さぁどこに行こう。

もうすぐアシスタントも終わり、デビュー出来る。
そんな頃に、当時のお店を辞める決意をします。

美容師はどこでも出来る。
地元を離れたい。
そんな想いをずっと持ち続けていたので、他の定住の場所を探しました。
サーフィンに夢中だったので、九州や四国など見に行きましたが、行ってみて気付いた事は、サーフィンよりも美容の仕事の方が好きだという事でした。

だったら最前線でやれるところまでやってみよう。

23歳。上京。

とにかく原宿表参道エリアと代官山に店舗のあった現在のお店に面接に行き、合格。
アシスタントとして初めからやり直す事に。

技術に自信があったのに試験が受からないとやらせてもらえない環境が、今までで1番ツライ状況でした。

とにかく朝晩練習するのはもちろん、休みの日もお店でカラーモデルを染めたりパーマの練習に行ったりして、先輩にひたすら”あいつはアツイ奴”という印象を与え、当時のアシスタントの中では1番早いスピードでデビューしました。

原宿と代官山で勤務し、ヘアカタログ撮影や女優やアイドルの方のヘアをやらせていただいたり、様々な東京でしかできない経験を与えていただいて本当に感謝しています。

働き方と業界の当たり前に疑問をもつ。

 

稼ぐためには沢山のお客様を抱えて、スタッフも入れ替わり立ち替わりでの施術になる。とにかく目の前のお客様を大事にするをモットーにして考えると、それはやはり違和感がある。

有り難いことに当時の店長から、自分が店長になるという選択肢も与えていただきましたが、考えた結果、
一人一人のお客様を大事にするマンツーマンスタイルを交渉し、今に至ります。
ただ人を育てるのは好きなので、いずれは自分の分身のような存在を育てようと思っています。

原点が独立思考から始まっているので、なんとかやり遂げたい。
しかし確実にオーバーストアなこの時代で美容院を新しく出す事に疑問も持ちつつ今に至ります。さらに最低賃金以下でアシスタントとして働くのが当たり前のこの業界のブラック加減にも、終止符を打ちたいので、そんなオーナーにはならないことを心に決めて色々と模索中です。

この激動の時代に合わせて常に変化しながら、自分の居場所をこの地に確立するため、前と上だけみて進んでいきたいと思っています。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

ABOUTこの記事をかいた人

【縮毛矯正にデザインを】 美容師歴17年。フリーランスとして独立後5年後、表参道青山にてceeを出店。 クセ毛、直毛、多毛、傷みやすい髪など、 髪に悩みのある方に特に支持を頂いています。 ショートヘアのカットもおまかせください。